鹿島神宮、参道横(桜門仲見世寄り)にある常夜燈石灯籠。
割と保存状態がよく、大きめで目立つ石灯籠。
どこから見ても「茶問屋さんからの寄進なんだな」ってわかる。
江戸 十組とある。読み方は「とくみ」。
よく「十組問屋(とくみとんや)」と言われるもので、江戸時代に当時の上方(大阪)から送られてくるものが「下(くだ)り荷物」と呼ばれていて、その荷物を取り扱う江戸問屋が作った問屋仲間を十組問屋というらしい。ここの仲間ってのは今でいう組合みたいなものだろう。詳細はこちらから確認して欲しい。
気になる時代だが・・・
状態よく簡単に解読することができる。
天保壬辰歳 九月吉祥日
天保元年が1830年。
年が干支になっている。天保壬辰(みずのえたつ)歳というのは天保3年を示す。
その横は9月吉祥日。
今でも「吉日(きちじつ)」という言葉を使うことがあるが、たまに出くわすこの「吉祥日きっしょうにち)」。双方「縁起の良い日」という意味合いのようだが、吉祥日という呼び方は陰陽道から来ている言葉のようだ。
「天保3年」について調べてみる。
前記したが1830年から始まった天保時代。天保3年は西暦でいうと1832年。
2021年の現在からさかのぼること189年前ということになる。
思っていたよりつい最近といった感じがするのは自分だけだろうか。
時の将軍は第十一代将軍 徳川家斉の時代である。
割と最近・・・ということで、歴史の教科書で目にした人物がこの時代に多い。すべてを網羅するにはあまりに多いので、個人的に覚えのある人物をあげていくと下記の通りである。
・葛飾北斎(当時72歳)
江戸時代の浮世絵師。
・歌川広重(当時35歳)
江戸時代の浮世絵師。
・十返舎一九(当時67歳)
絵師。「東海道中膝栗毛」作者。
・滝沢馬琴(当時65歳)
小説家・著作家 ペンネームは曲亭馬琴 。「南総里見八犬伝」作者。
・間宮林蔵(当時57歳)
江戸時代後期・末期の探検家。徳川将軍家御庭番。
・遠山金四郎(当時39歳)
江戸時代の旗本。江戸北町奉行、大目付、後に江戸南町奉行。
・井伊直弼(当時17歳)
江戸幕府大老。開国派として日米修好通商条約を調印。
・勝海舟(当時9歳)
幕松の三舟のひとり。日本の武士、政治家。
・鼠小僧次郎吉(年齢不明)
江戸時代後期の盗賊。義賊として伝説化。本業は鳶職。天保3年8月19日に処刑される。
この他にも錚々たる人物がこの時代には生きていた。
テレビでお馴染みの「遠山の金さん」や、日本浮世絵作者の代名詞とも言えるふたり。
大河ドラマ常連の人物たちなど、この石灯籠と同じ時代に生きていたのだ。
その時代のものが、こうして目の前にあり、触れもするというだけで、なんとも嬉しい気分にさせてくれるのが、遺物の醍醐味である。
年表でしか知らない「遠い昔」のことだった時代を、身近に感じ取れる不思議。
前記した歴史上の人物たちが呼吸していた時代の物が、目の前にある。
この境内にあるものの中でも、割と最近のものでコレである。
どうだろう、歴史の教科書で習った人物が、不思議と身近な存在に感じ取れたりしないだろうか。
話しだすと長くなるので割愛するが、これらの人物の中でも、この石灯籠が寄進された日にもっとも近い日に運命的な最後を遂げたのが、鼠小僧次郎吉こと鳶職の次郎吉である。
記録では、天保3年5月5日(諸説あり)、日本橋浜町の上野国小幡藩屋敷に盗みに入り捕縛。身長は5尺(約165センチ)に満たない小男で、捕まったときは家財道具もない貧乏な身の上だったという。その後、北町奉行所での取り調べで、約十年間に渡り盗みに入った屋敷は95箇所、回数にして839回、盗んだ金銭は金三千両余りと記録が残っているが、盗みの詳細については今もって正確なところは不明のままである。天保3年8月19日(1932年9月13日)に、市中引き回しの上獄門となったが、すでに義賊として名の知れた罪人であった次郎吉は、牢屋敷がある小伝馬町から日本橋、京橋あたりまで大挙押し寄せた野次馬の前を引き回しされる際、その汚れた着物を着せている状況から奉行所が見物人の反感を買わぬよう、自前の汚れた着物から見栄えのする綺麗な着物へと着替えさせられ、義賊として庶民からの歓声を受けつつ、小塚原処刑場で露と消えたのである。
その後、義賊伝説が江戸庶民の心を掴み、歌舞伎や時代劇の演目となったわけだが、諸説はあるが実際のところ盗んだ金銭のほとんどは博打と女と酒に浪費した説が有力である。
と、話しが逸れたが、次郎吉が処刑されたのが天保3年8月19日。
この石灯籠が寄進されたのが同年9月吉祥日である。次郎吉が世間を騒がせつつ処刑されたすぐ後に、この石灯籠が寄進されたことになる。今日の明日に出来るものでもないので、これを作っていた石工たちは、恐らくは江戸での騒ぎを耳にしつつ注文を受けたこの石灯籠を作っていたことになるだろう。この石灯籠は、そういう時代を今に伝えつつここにあるのだ。
普段、何気なく見ている景色の中にある遺物たち。
師走も残すところあと僅かとなっている。
正月を迎えるにあたり、多くの方が神社仏閣へと足を運ぶのではないだろうか。
そんな歴史ある場所に出向いたときに、ふと何気なく見る遺物に少し興味をもってはどうだろうか。
特に石灯籠などは、作られた時代背景・流行りなどでデザインが違って楽しい存在である。
今は、参道など夜間はLED照明などで明るく照らされるかもしれないが、これらが現役で多くの旅人たちの足元を明るく照らしていた時代もあったのだ。
そして、目に止まったなら、少しだけ足を止めてそこに刻まれている文字に目をやってほしいと思う。きっと教科書や年表でしか知らない時代の年号が目に入ってくるはずだ。
そして、その年代に生きていた人たちのことを、少しでも良いので想像してみてほしい。
そこに遺物がある限り、間違いなくその時代の人たちは、今の私たちと同様に生活していた証拠となる。名のしれた歴史上の人物も大事だろうが、個人的には私たちと同じ一般人の暮らしを想像してみてほしい。
新しくて結構。
古ければ、尚結構。
歴史あるところに、遺物あり。
である。
尚、この石灯籠が寄進されて5年後、大塩平八郎の乱が起こることを、この時代の人たちは知る由もなかったのであった。