anija+ism = anijaism
兄者的世界観
どこにでも居そうで、どこにも居ない。
そんな存在が「あなた」自身である。
だれかにとやかく言われることはない。
あなた自身が、あなたらしく生きて、
そして死んでいけばよい。
人の一生なんて、おおまかそんなこと。
兄者的世界観
どこにでも居そうで、どこにも居ない。
そんな存在が「あなた」自身である。
だれかにとやかく言われることはない。
あなた自身が、あなたらしく生きて、
そして死んでいけばよい。
人の一生なんて、おおまかそんなこと。
ふと見上げる空の青が
なんて素晴らしいんだ!
なんて綺麗なんだ!
そう思えたら、その日はしあわせ。
なんて素晴らしいんだ!
なんて綺麗なんだ!
そう思えたら、その日はしあわせ。
《自己紹介》
名前:兄者(あにじゃ)
製造年:1970年製 ビンテージロートル
職業:フリーライター・ウェブライター・広告デザイナー
インターネット界隈のいろいろなことをする人。
ホームページ作ったり、SNSやブログの代行をしたり、浅く広くいろいろ。
俗にいうところの「器用貧乏」ってやつ。
ホームページ作ったり、SNSやブログの代行をしたり、浅く広くいろいろ。
俗にいうところの「器用貧乏」ってやつ。
・経歴・というか、これまでの人生を殴り書く。
小さい頃は「情報誌」とか商品カタログを読むのが好きで、そういう「物書き」みたいな仕事にしたいなと思いつつ時間は経過するが、実際はそんな業界とは無縁な社会にいることに気づく。それでも、身近なところで雑誌関係やカタログ関係など主としてお金にならない仕事を細々とこなす20代だった。
30代からはクルマの運転が好き、ひとりの時間が多いという理由だけでトラック運転手のしごとをするも、実際は「宅配・急便関係」がメインとなり、実入りは良かったが思ったよりはひとりの時間は多くなかった。それでも忙しく毎日過ごすことが出来たり、体を動かしていただけにストレスはさほど感じることなく、今思えば楽しく過ごせたと思う。
30代半ばに結婚。
その頃からトラックのしごとが不安定。拘束時間が鬼な割に、実入りのよい仕事が激減。ちょうど知人の工場仕事に欠員が出たことをきっかけに転職。
そのままダラダラと今に至る。
ほぼ0(ゼロ)から立ち上げた工場と仕事。
当初のうちはなにもかも新鮮で、やればやるだけなにかしらの成果が見え隠れしていたこともあり仕事が楽しかったが、規模が大きくなるにつれて経営陣の舵取りに不安が見え隠れしてくるも、零細でも業界一般に通用し、抜け出るなにかを見つけようと奮闘するも、目先の稼働が主となり、いつも見据えていたゴールがまったく見えくなり、どこに進んでいるのか暗中模索な毎日と経営陣との紛争の日々を繰り返す。その頃、他社員の対応はというと、そこまで高見を見据えている者はなんとゼロ。
ただひたすら自分のために日々の労働をこなす輩の巣窟であることに気づく。
ただひたすら自分のために日々の労働をこなす輩の巣窟であることに気づく。
というか、そういう風に自浄作用しつつ勤めるようになっていたのか、自分が取り残されたのか。
まさに掃き溜めにどっぷりハマっていたことでうつ病発症。
50年超生きてきて、今さらながら役に立つスキルなどもなく、八方塞がり四面楚歌。
いろいろなことを諦め、出来る限りお気楽にやりたいことをしながら生きていこうと決める。
人間いつかは死ぬのだ。
望まずともそうなる。
問題は、いつかそうなるときに後悔があるかどうかだと思う。
望まずともそうなる。
問題は、いつかそうなるときに後悔があるかどうかだと思う。
今日、明日もし死んでも、後悔なく死ねるように、毎日を生きようと思う。